第9回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・最優秀賞受賞作品
A


  『 私を救った言葉』
        


                                                 藤崎 里奈

 人はなぜいじめを止められないのでしょうか。学校に限らず、職場や近隣でもいじめや仲間外れは存在するといいます。自分とは違う人、弱い立場の人を標的にして攻撃する人達と、それに加担する人、見て見ぬふりをする人…。いつ自分がターゲットにされるかと怖れ、周りから嫌われないように必死に自分を偽って立ち回る…。そんな世界で生きていくなど、想像しただけで憂鬱な気分になってしまいます。しかし、そういう私も自分では気づかないところで誰かを傷つけたり、嫌な思いをさせたりしていることがあるかもしれません。当人に「いじめている」という自覚がない場合があることも、いじめの怖いところだと言えるでしょう。
 私には、知的障がいのある弟がいました。子供の頃は近所に特別支援学校がなかったため、弟は私と同じ公立学校の特別学級に所属していました。毎朝一緒に登校していたので、クラスメイトそのことは知っていましたが、中にはそんな弟や私に対して心ないことを言う人もいました。「お前の親はこんな障害者を持って不幸だな。」と、面と向かって言われたこともあります。軽い気持ちで言ったことかもしれませんが、それを言われた時は、生きていること自体を否定されたようで、深く傷つきました。障がいがあるということが、それほど罪なことなのでしょうか。始めは私も言い返すことで自分達を守っていましたが、それでも「障害者だ!」と罵声を浴びせられたり、石を投げられたりすることがありました。そして私は、いちいち反応するのを止めることにしました。「私が毅然とした態度でいれば、いずれいじめてくる子達も諦めてくれるだろう。」と思っていたのです。けれどもそんな私の考えは甘く、登校時の嫌がらせがおさまることはありませんでした。そしてその頃から、私はクラスで孤立するようになってしまったのです。最初は味方をしてくれる友人もいましたが、私への嫌がらせは徐々にエスカレートしていき、ついに仲の良かった友人達も離れていってしまいました。家族のことを悪く言われるのは、自分が攻撃されることより辛いものです。障がいがあるというだけで、また、家族に障がい者がいるというだけで差別的な言動をすることが、私には理解できませんでした。しかし、当時私が何より恐れていたのは、その事実を両親に知られることでした。そのため、どんなにひどいことをされても、両親や先生に言うことはできなかったのです。
 ある時、水泳の授業から戻ってくると、自分の下着がなくなっていることに気づきました。更衣室をいくら探しても見当たらなかったため、仕方なく教室へ戻ると、私の下着が教卓の上へ置かれていました。次の授業の担当は男性教員だったため、私は結局何も言い出せず、濡れた水着を着たまま過ごすことになりました。あの時の惨めな気持ちは今でも忘れることはありません。もっともショックだったのが、中学二年の合唱コンクールでのことです。伴奏者に選ばれた私は毎日猛練習をしました。当時の私にとって、ピアノは唯一自分を表現できる手段であり、辛いことを忘れさせてくれる存在でした。そして迎えた本番当日。ピアノの譜面台に楽譜を置こうとした私は愕然としました。表紙の中の楽譜がビリビリに破かれ、マジックで「ウザい」、「死ね」と書かれていたのです。私はすぐにでもその場から逃げ出したい衝動に駆られましたが、母も見に来ている手前、なんとか曲が終わるまではその場をやり過ごしました。もちろん演奏はボロボロでした。私はおそらく、譜面がなくても弾くことはできたのでしょう。けれども、そんなことをされたショックと悲しみ、悔しさで体が硬直し、どうやって演奏を終えたのか、まったく覚えていません。そこでようやく、私の異変に気づいた母や先生が事情を聞き、私はやっと、これまでされてきたことや辛い気持ちを吐き出すことができたのです。母は「どんな時も味方でいるのが家族なのだから、これからは何でも話して欲しい。」と涙ながらに言ってくれました。その言葉に救われ、私はだいぶ心が軽くなりました。
 いじめがひどくなった時期から、私はリストカットをするようになっていました。はじめはカッターで軽く腕に傷をつける程度でしたが、次第に深く傷つけるようになり、傷を隠すのが大変になっていきました。いじめの事実を親には打ち明けられず、先生に言っても結局親に知られることになります。私には弟と一緒に登校するという役目があったため、学校に行かないという選択肢も考えられませんでした。逃げ場のない辛さから逃れ、少しでも現実を忘れるために、そのような行為に走ってしまったのだと思います。けれどもある時、弟が「いじめる人より、いじめられる人の方がかっこいいよね。いつも僕を守ってくれてありがとう。」と言ってくれたのです。私は涙が止まりませんでした。弟は、ずっと苦しんでいた私の心に気づき、彼もまた悲しんでいたのです。弟の言葉によって私は、「誰に何と言われようと、自分を貫いて強く生きていこう。」と思えるようになりました。
 三年生になると、担任の先生が私の状況をよく理解し、気遣ってくれたこともあり、私は少しずつ前向きになっていきました。そして翌年の合唱コンクールの本番前、再び伴奏を務めることになった私は、また同じことをされたらどうしようという恐怖に怯えていました。そこで先生は、傷でいっぱいになった私の腕が目立たないよう、丁寧にファンデーションを塗り、「今のあなたなら大丈夫。」と肩を押してくれたのです。そのおかげで、トラウマを乗り越えなんとか最後まで演奏することができ、弟も喜んでくれました。

 私がいじめを克服できたのは、このように私を理解してくれる人が周りにいてくれたおかげです。そして、言葉によって傷つけられた私の心は、また言葉によって慰められました。言葉は人を傷つけ攻撃できる一方、人を慰め勇気づけることもできるのです。まさに「言葉の力」に気づかされた経験でした。

 今いじめを受けているあなたへ。今は誰にも相談できずに追い詰められ、「死んでしまいたい。」と思うことがあるかもしれません。けれども、あなたの居場所は学校だけではありません。また、いじめが一生続くということもありません。周りに助けを求めることは勇気が要ることですが、自分の苦しみや辛さを吐き出すのはとても大事なことです。あなたを助け、守ってくれる人は、たとえすぐには見つからなくとも必ずいるはずです。本当に辛くなったら逃げてもいいのです。ただし、助けをネットの世界に求めてはいけません。正体不明の不特定多数の人々に本当の自分を分かってもらうなど、無理なことだからです。表面上ではあなたに同情してくれるかもしれませんが、中には余計に傷つくような言葉を発し、あなたを利用しようと企んでいる人もいることを忘れないでください。ネット上に書き込まれているひどい悪口や、低劣な言葉の数々を見れば分かるでしょう。自傷行為や薬物、夜の世界などに逃げ場を求めてもいけません。そこで、あなたの苦しみは一時的に忘れられるかもしれませんが、依存してしまうと取り返しのつかないことになり、命をも失いかねません。
 あなたが人と違うからという理由でいじめられているなら、それはむしろ誇りに思うべきでしょう。その独自性を大切にし、胸を張って生きていってください。そして何より忘れてはならないのは、人の痛みを知っているあなたの心は、誰によっても汚されることはないということです。誰かをいじめている人は、人を傷つけることで自分の心をも傷つけ、自分の価値を低めています。そのことに、きっと本人は気づいていないのでしょう。だから、人をいじめるのは悪いことだと思わないのです。いじめることで心は荒んでいきますが、いじめられることで自分が悪くなることは決してありません。どうか、自分を否定したり、道を踏み外したりすることなく、自分を守っていってほしいと思います。

 私は現在、私立高校で教員をしています。いじめを受けた経験がある子や、不登校や非行、心の病に悩む親子とも多く接してきました。そのたびに、現代の中高生を取り巻く複雑で深刻な状況を思い、心が痛みます。最近のいじめはより見えづらいところで起こっており、SNSによる誹謗中傷や卑劣な嫌がらせも後を絶ちません。「自分のように苦しんでいる子の助けになりたい。」と思って教師になった私ですが、理想と現実との隔たりに悩まされることは多々あります。思いが伝わらず衝突することや、脱力徒労感に襲われることもしばしば。あらゆる差別や偏見、競争、無知無関心を敵に回し、戦う毎日です。しかしそんな時だからこそ、言葉の価値を信じ、孤独な自分と向き合うことが求められているのでしょう。
 あの時私を救ってくれた弟は五年前、二十五年という短い生涯を終え、天国へと旅立ちました。もうあの時のように一緒に歩くことはできませんが、「いじめる人よりいじめられる人の方がかっこいい」という言葉は、今もくじけそうになった時、私を励まし勇気づけてくれます。大事な人に言われた心に響く言葉は、決して消えることなくその人を守り続けてくれるのでしょう。しかし同時に、人を傷つけるような言葉や精神的なダメージも一生消えることなく、傷となって残るのです。教師である限り、このことをこれからも繰り返し子供達に伝えていくことが、私の使命だと思っています。大切なことを教えてくれた弟に感謝しながら、私も苦しんでいる人がいたら、温かい言葉をかけ、手を差しのべることができるような人でありたいと思います。